「みどりの日」 に思う

marichan22006-04-29

  • 酸素飽和度       97%
  • 脈 拍 数        85
  • 血   圧        123/74
  • 徒   歩        3377歩
  • 体   重        66kg
  • 体   調        好調 気候に感謝

みどりの日』とは、自然に親しむと共に、その恩恵に感謝し、豊かな心を育む国民の祝日、と記されていた。『豊かな心』で思い出したことがある。
桜に魅せられた男<佐藤良二>の心温まる話である。彼は名古屋から金沢まで、国道156号線全長260kmを走る国鉄バスの車掌であった。『太平洋と日本海を桜で結ぼう』自分が乗るバスの道沿いに、5万本の桜を植え、桜並木で埋め尽くそうと言う、途方も無い夢を始めた。昭和41年、最初の1本が植えられ、亡くなるまでの12年間に、彼の自費で植樹された桜の木は2000本を越していた。彼はなぜ植え続けたのだろうか。
幼少の頃は厳格な父親より『人様の喜ぶことをせないかん。社会に尽くしてこそ成長できるんじゃ』言い聞かされて育った。昭和20年、国鉄に入社したのもその父の意思であった。昭和28年、国鉄バスの車掌に移動。しかし、彼には消すことの出来ない夢があった。映画俳優である。休暇をとり、鼻の整形手術を受け、受験申し込み書を郵送した。書類選考で不合格であった。それ以降、仕事も投げやりになり、沈んだ日を過ごすようになった。
昭和35年、岐阜県荘川に東洋一と言われた『御母衣ダム』が完成し、満水になると360の集落が、ダムの底に沈むと言う運命にさらされていた。その集落に樹齢数百年と言う2本の桜の大木があり、村人達の熱意でダムの見下ろせる丘に移設移植されることになった。それから3年の春、村人達は満開の桜の下に集まり、ダムに沈んだ我が家を見、桜に頬ずりし涙を流した。そしてこの桜の下に集まることを誓い合った。
バスの車掌の佐藤良二は、毎日通るこの道の出来事を見て、心が大きく揺れ動いた。『桜はすごい! 人を動かし、人を呼び、人に勇気を与えるのだ』彼は発心した。昭和41年春、彼は1本目の桜を植えた。昭和46年秋、血液のがんと診断される。昭和51年、47歳の生涯を閉じるまで、彼は桜を植え続けたのである。彼の夢は今も伝承者に引き継がれて営々と続けられている。
彼は偉人でも賢人でもない。悩み多き私達と同じ凡人であったのが嬉しい。

        教え乞う  悠久の史に  活路あり